杉山の人生軌跡を追って、といっても主たる関心は政治的軌跡であるが、もう二十数年になる。 ノートを作り出してから二十回目となる。 元来浅学非才の身に加えて怠惰であるからこれだけの期間調べてきたからといって何程のこともできてはおらず恥かしき次第である。 研究の進展とは無関係に時間は流れたのである。 これだけの期間調べてきたのにまだ茂丸三十五歳ぐらいの所をさ迷っているのだ。 これまでの研究過程でご指導をいただいた玉井政雄先生、杉山龍丸先生、西郷隆秀先生は三人とももうこの世にはいない。 この調子だと一生かかってもこの人物を描き切れぬかもしれない。 それでもいささかは研究スタートの時に持っていた茂丸の謎は解いてきたつもりだ。 近代日本において杉山のような政治的黒幕の原形が徒手空拳の身にいかに成立したのか、そういう異端の政治力学がいかなる思想の格によって可能になったのか、 そういうことは私なりには、おぼろげながらも理解できたと思っている。 もう少し、この政治的世界のアウトサイダーの力の源を追いかけねばならぬのだが、このあたりで研究の節目として杉山の資料を整理しておきたい。 これまでの研究過程でずいぶん参考にさせてもらった、杉山の交遊録とでも言うべき「其日庵過去帳」である。 大正六年十月二十日から大正七年九月一日にかけて断続的に「九州日報」紙に掲載されたものである。 マイクロフィルムを見ていってこの資料にであった時は本当にうれしかった。 ここには異端の政治力学成立に影響を与えた政治的人間がかなり出てくる。 本当なら全部原文のまま紹介したいのだが本研究紀要の校数制限もあって難しいので現時点での研究の視点である異端の政治力学成立に影響を及ぼした政界の人物にしぼって二回に分けてここに掲載してみたい。 ただし、政治的人物ではなくても杉山の特異な政治スタイルの形成と形態に関係している内容のものはとりあげている。
本資料は杉山の政治軌跡を記していくには避けては通れぬ資料であり、ここでまとめて整理掲載しておけば、 私事ではあるが今後の研究にも都合が良いという次第である。 それに、発掘資料の紹介としても多少の意味もあるかもしれない。 要はこの辺で杉山のような無位無冠、無職浪人に政治的熱源を発現させ、異端の政治力学、政治スタイルの原形成立に直接的影響を及ぼした 明治三十二、三年前後、杉山三十五、六歳前後の頃迄にいたる人脈の勢揃いを、杉山本人の「声」を通してできるだけ試みておこうというわけである。 ここに「声」としたのは資料の「はしがき」にもあるように「聞き書き」のようにもとれるし、 しかしその後各人物評を読むと直接杉山本人の文章表現のようにも考えられるということで判断に苦しむところがあるからである。
次回の終わりに記すことになるが、この過去帳には政治的人物だけではなく女性関係にいたるまで、 杉山の人生に関わったさまざまな重要人物がとりあげられており全部を紹介できぬのは残念である。 いずれ機会があればまとめておきたい資料である。 ここで二回にわたってとりあげる資料については一切手を加えず原文のまま当時の新聞のマイクロフィルムから転写、転載するので読みにくいし判読不能のところもあろうが、 「なま」の資料の臭いを嗅ぎ尊重し敬意を表すると思って了解されたい。 又、一部表現に人権上不適切な箇所があるが当時の歴史的資料として原文のままに掲載することご了承願いたい。
尚、言うまでもないが、ここに転載した新聞の日付で、例えば10月21日・25日(5頁の右上)と重ねて記した所等は、21日の其日庵過去帳の前頁からの続きと25日の其日庵過去帳の日付を記している。 紙面の都合上このようになったが其日庵過去帳とある所から25日のものがはじまっているということである。
ここに転載にあたっては、西日本新聞社所蔵の九州日報をマイクロフィルム化した日本マイクロ写真株式会社のものを 富士マイクロ株式会社から購入し使用させていただきました。 引用転載することについては杉山満丸氏、西日本新聞社、日本マイクロ写真株式会社、富士マイクロ株式会社の了解をいただきました。 厚く御礼申し上げます。